七五三はなんのため?
11月になると、日本各地の神社で、三歳、五歳、七歳と子どもの成長を祝う儀式、「七五三」をみることができます。子どもが晴れ着を着て神社にお参りする風景は、日本の秋の風物詩です。
とはいえ、きれいな晴れ着のレンタル予約も夏頃までにはしておかないと気に入ったものが選べないとか、記念写真の撮影もその時期はすぐに予約が埋まってしまうなど、子どもを持つ親御さんは準備が大変なようです。
●昔と今の子育ての難しさの違い
医療も未発達、食料事情も悪かった昔は、今なら薬ひとつで治るような病気でも死んでしまうような状況でした。つまり、子どもが無事に生きて育つこと自体、有難いこと、奇跡にも近い事柄だったのです。ですから、三歳、五歳、七歳とその成長を喜び、神々に感謝する儀式が「七五三」でしたが、昔に比べて医療も食料事情もよくなり、病気などで命を失うことも格段に少なくなりました。しかし、働く女性への支援や保育園待機児童問題、少子高齢化による社会保障、いじめ、不登校の問題など、人間関係や社会環境の変化によって、昔とは違った意味で子育ての難しい時代になった現代日本では、安心して子育てできる環境づくりを官民そして地域が連携して行うことが求められています。
●現在のスタイルは江戸時代から
話しを戻すと、七五三を今のように11月15日にお祝いするようになったのは、江戸時代の将軍、徳川綱吉の息子、徳松の髪置の祝いに由来するといわれています。
三歳は、産土神(うぶすながみ)と言われる 、生まれた土地の守り神に参拝します。男女とも「髪置(かみおき)」と言って、太さにむらのある粗い絹糸=「絓糸 (すがいと) 」で作ったものを白髪 (しらが) に見立て、頭上にのせて長寿を祈ります。五歳は、「袴着(はかまぎ)」と言い、子どもの成長を祝って初めて袴を着せます。袴着は男女の区別なく三歳から七歳までに行われていたものが、江戸時代には五歳男児のみとなりました。そして七歳は「帯解(おびとき)」。女児が着物に着ける飾りの紐、付紐(つけひも)をやめ、大人の帯を締める儀式。この祝いをする年齢やその始まりには諸説があるようですが、江戸時代に現代のようなかたちで庶民に伝わったと考えられています。
現在は、さらにその年齢になったときにお祝いをするかたちだけが残り、着物を着ない場合もあるようですが、大切な子どもの成長を願う日本に今なお受け継がれる大切な文化です。
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